添元(てんげん)は、明代に後元(北元に含める見解もある)政権を樹立し自立したエセン・ハーンが用いた私年号。1453年に建元したが、漢文史料によればエセン・ハーンの没年には1454年、1455年、1457年の異説があり、末年は確定できない。また存在そのものに疑義を呈する見解もある。
西暦・干支との対照表
出典
- 『明史』巻328 列伝第216 外国9 瓦剌
- 三年冬,遣使来賀明年正旦,尚書王直等復請答使報之。下兵部議,兵部尚書于謙言:「臣職司馬,知戦而已,行人事所敢聞」詔仍毋遣使。明年冬,也先自立為可汗,以其次子為太師,来朝,書称大元田盛大可汗,末曰添元元年。
- 『明英宗実録』巻234
- 鍾淵映『歴代建元考』巻頭「歴代建元類考」(天元と似ていることを理由に再考証の必要性を指摘する)
- 羅福頤「北元官印考」『故宮博物院院刊』1979年第1期(「天元」と同一ではないかとの推測に言及している)
参考文献
- 李崇智 『中国歴代年号考 修訂本』(北京:中華書局,2001年1月) ISBN 7101025129 213 - 214ページ。(上記諸家の考証についてはこれに拠った)
- 鄧洪波編 『東亜歴史年表』(台北:台湾大学出版中心,2005年3月) ISBN 9860005184 230ページ。(1457年末年説。「天元」にも作るとする)
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