肥塚 龍(こいづか りゅう、嘉永元年1月10日(1848年2月14日) - 大正9年(1920年)12月3日)は、東京府知事、新聞記者の民権活動家。

自由民権運動に関し、大胆で新しい言論活動で注目を集めていた。

略歴

  • 1861年ころ - 網干にある大覚寺に入り、小坊主になり山空和尚の指導を受ける。
    後に、京都に行き、賀茂神社の宮司の山本硯儒、高倉西念寺の諦導和尚に師事する。
  • 1872年(明治5年) - 東京に行き、工部省電信修技教場に官費生として入学。
    「東京曙新聞」でアルバイトを始めるも、それが学校に知れ、教場を退学になるが、中村敬宇に英学漢学を学ぶ。
  • 1875年(明治8年) - 横浜毎日新聞に入社するも、後に退職。
  • 1879年(明治12年)11月18日 - 横浜毎日新聞が、東京横浜毎日新聞に改題すると同時に再入社。
    社長の沼間守一と改進党に入党。神奈川県会議員、東京市会議員、東京市参事会員、赤坂区会議員となる。
  • 1890年(明治23年)7月1日 - 第1回衆議院議員総選挙に兵庫県第8区および神奈川県第4区で重複立候補するも落選。
  • 1892年(明治25年)2月15日 - 第2回衆議院議員総選挙に東京府第2区から立候補するも落選。
  • 1894年(明治27年)3月1日 - 第3回衆議院議員総選挙に兵庫県第8区から立候補し初当選。東京市会議員を兼務した。
  • 1894年(明治27年)9月1日 - 第4回衆議院議員総選挙に兵庫県第8区から立候補し2選。
  • 1897年(明治30年)4月 - 農商務省鉱山局長となり、足尾鉱毒事件を調査する。
  • 1897年(明治30年)11月 - 退官する。
  • 1898年(明治31年)3月15日 - 第5回衆議院議員総選挙に兵庫県第8区から立候補し3選。
  • 1898年(明治31年)7月16日 - 東京府知事兼東京市長となる。
  • 1898年(明治31年)10月1日 - 市制特例が廃止により、東京市が一般市となり、東京市長を退任。
  • 1898年(明治31年)11月12日 - 東京府知事を退任。
  • 1902年(明治35年) - 東京石川島造船所の監査役となる。
  • 1902年(明治35年)8月10日 - 第7回衆議院議員総選挙に兵庫県郡部区から立候補し4選。
  • 1903年(明治36年)3月1日 - 第8回衆議院議員総選挙に兵庫県郡部区から立候補するも落選。
  • 1904年(明治37年)3月1日 - 第9回衆議院議員総選挙に兵庫県郡部区から立候補し5選。
  • 1908年(明治41年)5月15日 - 第10回衆議院議員総選挙に兵庫県郡部区から立候補し6選。
  • 1908年(明治41年)12月23日 - 衆議院副議長となる。
  • 1912年(明治45年)5月15日 - 第11回衆議院議員総選挙に兵庫県郡部区から立候補し7選。
  • 1915年(大正4年)3月25日 - 第12回衆議院議員総選挙に兵庫県郡部区から立候補し8選。
    上記以外にも実業界にも転じ、諸会社の社長などを歴任した。墓標は、東京都中野区の青原寺に所在。

栄典

位階
  • 1897年(明治30年)5月31日 - 正五位
勲章等
  • 1915年(大正4年)11月10日 - 勲三等瑞宝章

著書等

  • 肥塚竜訳アレクシス・ド・トクヴィル『自由言論』1881-82年
  • 肥塚竜選『国会設立方法論 前編』松尾一衛、1880年3月
  • 肥塚竜編『横浜開港五十年史 上・下巻』横浜商業会議所、1909年

脚注

参考文献

  • 東京都公文書館編『東京都職制沿革』東京都情報連絡室情報公開部都民情報課、1986年

関連文献

  • 柳愛林『トクヴィルと明治思想史 〈デモクラシー〉の発見と忘却』白水社、2021年10月28日。ISBN 9784560098653。 

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