武烈王陵(ぶれつおうりょう、ハングル: 무열왕릉〈ムヨルワンヌン〉、太宗武烈王陵、ハングル: 태종무열왕릉〈テジョンムヨルワンヌン〉)は、韓国の慶尚北道慶州市西岳洞(ハングル: 서악동〈ソアクトン〉)にある新羅第29代王、太宗武烈王(ハングル: 태종무열왕〈テジョンムヨルワン〉)の陵墓である。慶州武烈王陵(ハングル: 경주 무열왕릉)として大韓民国指定史跡第20号に指定されている。

概要

仙桃山(ハングル: 선두산〈ソンドサン〉)の東麓にある4基の大きな墳丘墓(西岳洞古墳群)に続く5基目の主たる墳丘として最も低い位置にある。高さ8.73メートル(10.9m、約11m)直径36.31メートル(約37m、約33m)、周囲114メートル(約104m)の円墳であり、陵墓の周りを自然石で囲み固めたとされる。発掘調査はなされていないが、内部の構造形態は横穴式石室墳、あるいは最後の積石木槨墳の王陵とも考えられる。前部には供物石としての石床が備えられている。

歴史

陵域内には、大韓民国国宝第25号に指定された太宗武烈王陵碑(ハングル: 태종무열왕릉비〈テジョンムヨルワンヌンビ〉)の亀趺(きふ)と螭首(ちしゅ)が残存し、螭首に「太宗武烈大王之碑」とあることから、新羅の陵のなかで唯一、埋葬された王の明確に認められる王陵である。

武烈王(ハングル: 무열왕〈ムヨルワン〉、在位654-661年)は、三国統一を推し進めた新羅の第29代王であり、本名は金春秋(キム・チョンチュ)。太宗武烈王8年(661年)6月に死去し、王の諡号(しごう)を武烈、廟号(びょうごう)は太宗(テジョン)となる。

1963年1月21日、新羅武烈王陵(ハングル: 신라무열왕릉)として大韓民国指定史跡第20号に指定され、2011年7月28日より現在の指定名称である慶州武烈王陵(ハングル: 경주 무열왕릉)に変更された。1972-1973年に王陵の周辺が整備されている。

脚注

参考文献

  • 山本智教「韓国古美術巡礼」(PDF)『密教文化』第124号、密教研究会、1978年12月15日、1-30頁、doi:10.11168/jeb1947.1978.124_1、ISSN 0286-9837、2023年2月15日閲覧。 
  • 東潮、田中俊明『韓国の古代遺跡 1 新羅篇(慶州)』森浩一(監修)、中央公論社、1988年。ISBN 4-12-001690-0。 
  • 東潮「朝鮮三国時代における横穴式石室墳の出現と展開」(PDF)『国立歴史民俗博物館研究報告』第47巻、国立歴史民俗博物館、1993年3月25日、1-154頁、doi:10.15024/00000597、ISSN 0286-7400、2023年3月5日閲覧。 
  • 藤井直正「亀趺をもつ石碑の系譜」(PDF)『大手前女子大学論集』第25号、大手前女子大学、1991年12月20日、29-64頁、ISSN 02859785、NAID 110000046523、2023年2月12日閲覧。 
  • 武井一『慶州で2000年を歩く - 新羅から現代への旅』桐書房、2003年。ISBN 4-87647-603-9。 

関連項目

  • 太宗武烈王陵碑
  • 武烈王
  • 西岳洞古墳群
  • 大韓民国指定史跡

外部リンク

  • “慶州 武烈王陵、太宗武烈王陵碑(경주 무열왕릉, 태종무열왕릉비)”, Visit Korea (韓国観光公社), (2022-08-16), https://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TMC/TE_JA_7_1_1.jsp?cid=1988038 

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