経王寺(けいおうじ)は北海道札幌市豊平区豊平にある日蓮宗の寺院。山号は妙法華山。旧本山は身延山久遠寺、小西法縁。
概要
1875年(明治8年)開山。開祖は紀伊藩出身で東京深川・浄心寺の役僧であった松井寬義。松井は明治初年に北海道布教を志して渡道し、函館・江差・石狩を経て札幌近郊・元村の妙見山本龍寺に留錫(滞留)した。その後、何れも熱心な日蓮宗信者であった、開拓御用請負師・大岡助右衛門、開拓御用料理屋(旧東京庵)店主・後藤彦右衛門、素封家・中村甚五兵衛らと相計り、1875年に大岡が寄進した札幌郡豊平村(現札幌市豊平区豊平)の現在地に一堂寺を建立した。開山当時の檀家は45軒であったが、徐々に増加し、5年後の1880年に本堂が創建された。同年正式に許可を受け、「経王寺」と寺号を公称した。その後、当寺は道内を2分する西部録所(宗務所)の指定を受け、道内内陸部や樺太方面への布教の本拠となり、さらには総本山直末・身延山北海道弘通所の栄誉を受けるに至った。
また松井は、地元豊平村の有力者であった阿部仁太郎・阿部代之助ら有志と相計り、1881年に境内寺にある建物を利用して寺子屋(現在の札幌市立豊平小学校の前身)を開設、地域子女の教育にも尽くした。さらに境内には行政機関や治安維持等の機関も設置され、開拓間もない豊平地区の文化・教育の中心的な役割も果たした。
第二次世界大戦後の1951年、札幌郊外の手稲山麓に「奥の院大平和寺」を建立し、緇素(出家者と在家)の参詣の浄地と定めた。1955年には、総本山(身延山)第84世法主・深見日円の来山を期して、総本山より「北海身延」の称号を允許された。
『札幌市史 文化社会編』(札幌市史編集委員会編、1958年)では、当寺が創立年代が早くまた檀信徒も多く、教化力の大きな寺院であることから、似たような経緯や特色を持つ真宗大谷派札幌別院、中央寺(曹洞宗)、本願寺札幌別院(真宗本願寺派)、新善光寺(浄土宗)と並ぶ、「札幌五大寺」の一つであるとしている。
沿革
- 1875年 - 開山
- 1880年 - 本堂創建、「経王寺」と寺号を公称
- 1951年 - 札幌郊外の手稲山麓に「奥の院大平和寺」を建立
- 1955年 - 総本山(身延山)第84世法主・深見日円が来山。総本山より「北海身延」の称号を允許される
- 1975年 - 創立百年記念塔、法塔を新造。本堂内外の大改修を施工
- 1977年 - 弘経行脚の宗祖・日蓮上人の銅像が建立される
旧末寺
日蓮宗は昭和16年に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。
- 経王山光明寺(札幌市北区新琴似7条)
- 経王山最上寺(北広島市西の里)
- 妙栄山昌福寺(北広島市中央)
- 一乗山妙典寺(札幌市中央区南16条)
- 瑞寶山大法寺(夕張市本町)
- 恵光山妙照寺(三笠市幾春別千住町)
- 一乗山妙法寺(三笠市幌内町)
- 太平山法光寺(江別市元野幌)
- 松尾山広宣寺(北海道夕張郡由仁町本町)
- 広宣寺末:妙泰山法宣寺(美唄市大通東1条南)
- 龍王山妙光寺(深川市4条)
- 壽命山長遠寺(北海道天塩郡遠別町字本町)
- 立正山大平和寺(札幌市西区平和)経王寺奥之院
交通アクセス
- 函館本線 札幌駅から北海道中央バス月寒東線平岡営業所行き他「豊平3条4丁目」にて下車、徒歩3分
脚注
参考文献
- 札幌市史編集委員会編『札幌市史 文化社会編』、1958年
- 『郷土史豊平地区の140年 1857-1997』豊平地区郷土史発行委員会
外部リンク
- 経王寺 日蓮宗 北海身延 妙法華山




