柴田 崎雄(しばた さきお、1925年11月2日 - 1986年12月13日)は、福岡県出身のプロ野球選手。
経歴
現役時代
飯塚商業学校から1943年に西鉄軍へ入団。1944年の西鉄軍解散に際して東京巨人軍へ移籍し、同年退団。
引退後
引退後は軍に召集されたのちに復員し、八幡製鐵などで働いていた。
1957年に中日ドラゴンズのスカウトへ就任した。スカウト自由競争時代から活躍し、江藤慎一、板東英二、権藤博など多くの選手獲得に携わった。
上記のようにやり手で名を馳せた一方で、柳川事件・門岡事件・高井事件に係わるなど強引な手段をとることもあった。1966年の高井事件ではアマチュア球界側が態度を硬化させたため、NPB側のコミッショナー裁定により1年間のスカウト活動禁止が言い渡されている。
渉外課長であった1968年にドラゴンズから解雇され、球団相手に訴訟を起こすと報じられた。原因は親会社・中日新聞社の派閥争いに巻き込まれたためとされている。
詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 14 (1943年)
著書
- 『いい人たちばかりの中で―あるプロ野球スカウトの記録』(1969年 六芸書房)
脚注
関連項目
- 福岡県出身の人物一覧
- 西鉄軍の選手一覧
- 読売ジャイアンツの選手一覧
外部リンク
- 個人年度別成績 柴田崎雄 - NPB.jp 日本野球機構




