チェダブクトの戦い(チェダブクトのたたかい、英 Battle of Chedabucto)は、チェダブクト(現在のノバスコシア州ガイスボロ)で、ウィリアム王戦争中の1690年6月3日に起きた戦闘である。

この戦闘は、サー・ウィリアム・フィップスによるニューイングランドの、アカディアへの軍事作戦の一環であった。ニューイングランド軍の規模は圧倒的で、首都のポートロワイヤル、そしてチェダブクトを制圧し、他の集落にも攻撃を仕掛けた。この戦闘の余波は、それ以前のアカディア侵攻の時のものとは異なっていた。激しい攻撃により、多くのアカディア人がニューイングランド人に敵意を持つようになり、信頼関係を損ね、イングランド系住民との友好関係が困難になってしまった。

戦闘に至るまで

1682年、クレルボー・ベルジエは、他の商人たちを連れて、フランスのラ・ロシェルを発ち1682年、アカディア・カンパニー(コンパニ・ド・ラ・ペシュ・セダンテール)を創設し、漁業保護のためにサンルイ砦を造った。主な港はチェダブクト湾に集中しており、1686年には50人もの漁師がいた。サンルイ砦の指揮官はドーファン・ド・モントルグイユだった。

ニューイングランドのアカディア攻撃の裏には、様々な意図があった。ある者は、攻撃後のミクマク族やアカディア人との利益をめぐって、その土台を築いておこうとしており、またある者は、この戦いの前に行われたポートロワイヤルの戦いの際、イングランド軍が悪だくみをしたと主張するアカディア人を、こらしめるつもりだった。

ポートロワイヤルが攻略されたのち、部隊長のシプリアン・サウザックはケープ・サーブル(ポール・ラ・トゥール)に赴いた、そこは彼が、インディアンと同盟したフランス軍と戦った場所であった。また、サンルイ砦を征服した場であるチェダブクト、フランスの交易所を襲ったニューファンドランドにも足を運んだ。

戦闘

アカディアの首都を壊滅させた、ポートロワイヤルの戦いの一環として、フィップスはチェダブクトにサウザックと80人の兵を派遣した、サンルイ砦の取り壊しと、フランスの漁場を包囲するためであった。サンルイ砦の兵たちは、前回のポートロワイヤルの戦いとは違って、かなりの抵抗を見せ、なかなか降伏しなかった。兵たちは6時間もの間砦を守りぬいたが、ついには何発もの砲弾をくらって砦は焼け落ちた。サウザックはまた、総額5万クラウン(1万シリング)にもなる魚を処分した。名誉ある降伏をした駐屯兵は、ニューファンドランドのプラセンティア(プレザンス)に送られた。

その後のアカディア

降伏により、総督と兵士たちは船でケベックに追われた。降伏前に約束されていた

  • 住民は、平穏に暮らし、財産を奪われることもなく、女性は性的ないたずらをされるべきではない
  • 住民は、宗教に関しても妨害されてはならず、教会も、乱暴狼藉を受けるべきではない

これらの約束事にもかかわらず、ニューイングランド軍は、降伏の後、12日間に及ぶ略奪行為を行った。彼らは砦から大砲を外して、他の砦らしきものにかまわず狙いを付けた(このため矢来が真っ二つになった)。この略奪がすべて終わった後、フィップスは農民に、国王ウィリアム3世と女王メアリー2世に忠誠を誓わせようとしたが、農民たちは難色を示した。そこでフィップスは、教会や、行政や軍事の権力者を、ボストンに連れ帰ることで、彼らの権限を取り除いてしまおうとした。権力者とは、2人の聖職者プチとトルーヴェ、総督のメネヴァル、そして58人の兵である。ポートロワイヤルを発つ前に、フィップスは、臨時政府を作って、アカディアの指導者による議会を作ろうともした。

翌年、アカディアの新総督であるエドワード・ティングは、ポートロワイヤルに向かっていたところを、フランスのフリゲート「ソレイユ・ダフリカ」に拿捕された。この船には、フランス人の新総督であるロビノー・ド・ヴィユボンが乗っていた。ティングと共にいたジョン・アルデンは、捕虜交換の知らせを持ってボストンに送り返され、ヴィユボンは、前年に捕囚されていた60人ばかりの兵を解放した。

カンパニー・オブ・アカディアは、様々な難題を抱え、1702年に解散した。また、サンルイ砦は1718年のカンゾ襲撃(スクウィラル・アフェア)で崩壊した。

脚注

参考文献

  • John Mack Faragher, A Great and Noble Scheme: The Tragic Story of the Expulsion of the French Acadians from their American Homeland (New York: W. W. Norton & Company, 2005).
  • Brenda Dunn, A History of Port-Royal/Annapolis Royal 1605-1800, Halifax: Nimbus, 2004.
  • Griffiths, E. From Migrant to Acadian. McGill-Queen's University Press. 2005.
  • Haynes, Mark. The Forgotten Battle: A History of the Acadians of Canso/ Chedabuctou. British Columbia: Trafford. 2004
  • John Reid, Maurice Basque, Elizabeth Mancke, Barry Moody, Geoffrey Plank, and William Wicken. 2004. The 'Conquest' of Acadia, 1710: Imperial, Colonial, an Aboriginal Constructions. University of Toronto Press.
  • Geoffrey Plank, An Unsettled Conquest. University of Pennsylvania. 2001
  • A Journal of The Proceedings In The Late Expedition To Port-Royal, On Board Their Majesties Ship, The Six Friends, The Honourable Sr. William Phipps Knight, Commander In Chief &c. A True Copy, Attested By Joshua Natstock Clerk.

関連項目

  • ポートロワイヤルの戦い (1690年)

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1943年12月コチェービエ/ゴトシューの戦い Togetter [トゥギャッター]

Categoryチェチェンの戦争 (page 1) JapaneseClass.jp

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