嘉禄かろく旧字体:嘉祿)は、日本の元号の一つ。元仁の後、安貞の前。1225年から1227年までの期間を指す。この時代の天皇は後堀河天皇。鎌倉幕府将軍は藤原頼経、執権は北条泰時。

改元

  • 元仁2年4月20日(ユリウス暦1225年5月28日):改元。理由については、備考を参照のこと。
  • 嘉禄3年12月10日(ユリウス暦1228年1月18日):安貞に改元。

出典

「博物志」の「承皇天嘉禄」より。

備考

この改元について、『吾妻鏡』は疱瘡流行に伴う写経記事の翌日(元仁2年5月2日)条に改元の詔書が届いたことが記されていることから、通常は疱瘡によると解されている。

だが、改元直前に藤原定家が安倍泰俊に語ったところによれば、事の発端は「元仁」改元を知った武家(鎌倉幕府)が「不快」の念を伝えてきたことがきっかけであったとされ(『明月記』嘉禄元年4月15日条)、実際に改元されると定家は「改元を行っても政治を改めなければ意味がない」と批判し、更に「嘉禄」が「軽(かろ)く」に通じると不満を示している(同4月20日・21条)。

嘉禄期におきた出来事

元年
  • 12月20日:鎌倉幕府の御所を若宮大路へ移転する。
  • 12月21日:幕府評定所を設置する。
2年
  • 正月27日:九条頼経、鎌倉幕府の第4代将軍に就任。

死去

元年
  • 6月10日:大江広元
  • 7月11日:北条政子

西暦との対照表

※は小の月を示す。

脚注

関連項目


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