大聖寺の時鐘堂(だいしょうじのじしょうどう)は、石川県加賀市大聖寺本町にある鐘楼。

歴史

初代

江戸時代の大聖寺は加賀藩の支藩である大聖寺藩10万石の城下町だった。大聖寺藩2代藩主の前田利明によって、寛文7年(1667年)4月に初代の時鐘堂(鐘楼)が鋳造され、7月17日に撞初式が行われた。加賀藩においてはまず承応元年(1652年)に金沢城下に時鐘が設置され、その後小松、大聖寺、富山(支藩の富山藩)にも設置されている。

当時の奉行は山田久左衛門であり、冶工は鳥居宗久である。大聖寺藩士で儒学者でもあった河野通英が銘文を担っている。なお、大聖寺の実性院の鐘楼もこの際に完成している。初代の時鐘堂は3.6メートル四方であり、高さは5.7mあった。

当初は大聖寺の本町にあったが、1883年(明治16年)の火災後に移設された。1934年(昭和9年)9月9日の大聖寺大火では時鐘堂も焼失し、その後長らく再建されなかった。

2代目

現在の時鐘堂は2003年(平成15年)に再建された2代目である。NPO法人歴町センター大聖寺が主導し、約4000万円が投じられて再建された。2002年(平成14年)4月に着工し、2003年(平成15年)4月20日に竣工式が行われた。

建築

宝形の重層屋根を有し、本瓦葺である。下層部は袴腰(板張)であり、基礎部は石積みである。

脚注

参考文献

  • 大聖寺藩史編纂会『大聖寺藩史』大聖寺藩史編纂会、1938年

外部リンク

  • “北国街道を歩く 其の参”. 大聖寺 十万石の城下町. 2021年4月4日閲覧。
  • “時鐘堂”. 石川県:歴史・観光・見所. 2021年4月4日閲覧。


聖天堂の時計が新しくなりました。 ブログ 川口の寺なら大徳寺 道合大師

大聖寺

東京・品川寺:ヨーロッパを旅した徳川の鐘(重要美術品) お寺の鐘しらべ┃お寺の鐘を巡る旅。京都、奈良を中心に日本の楽しい梵鐘(ぼんしょう

大聖禅寺鐘 胴巻屋

名古屋・久国寺:岡本太郎のアート梵鐘「歓喜の鐘」 お寺の鐘しらべ┃お寺の鐘を巡る旅。京都、奈良を中心に日本の楽しい梵鐘(ぼんしょう)と